「考えたって仕方がないよ」というところまで掘らなきゃしょうがない

 たまに、知識人と言われるような人達が、

「考えたって仕方がないよ」

というアドバイスを、考えすぎの人に向かって送っている場面を目にする。

 考えすぎだと言われることの多い私は、この類のアドバイスに反発を覚える。

 理由はふたつ。ひとつは、

「考えすぎと言われて考えるのを止められたら、苦労はしない」

という理由である。

「ああそうか、私は考えすぎていたんだ。そうだよね、考えたって仕方のないこともあるよね」

と割り切れたならば、最初から苦労はしていないのである。否応なく考えさせられることがあるから、仕方なく考えているのである。

 もうひとつは、

「考えすぎだよ、とアドバイスするあなたたちは、相当に考え込んでいるではないか」

という理由である。要するに、そこまで掘っているからこそ、彼らは、

「考えたって仕方がないよ」

というところまで辿り着いている訳だ。それをさも、最初から考えることは必要ではないと言わんばかりに、

「考えたって仕方がないよ」

とアドバイスするとは何事か。ちゃんと、

「考えたって仕方がないという境地に至るまで、掘らなきゃしょうがない」

と伝えるべきではないだろうか。

 そんな反発を感じながら私は、いつぶつかるかも分からない境地に辿り着くために、今日もせっせと掘り続けている。