教えるということの照れと、少しの嬉しさと

 別に大した内容でもないのだが、最近、ちょっとした必要に迫られて、人に物を教えるというような事をしていた。

 何かを人に教えるなんていう行為は、放っておくと勝手に偉そうになってしまうものだから、上から押し付ける感じの出ないよう、細心の注意を払って教えていたのだが、それでもやはり相手には、なんとなく生意気な感じに映ったような気がしてならない。

 それに、教えるという行為は、どうにも照れて仕方がない。

「オメェがそんなに偉いんかい」

「随分と立派になったもんだなあオイ・・・オメェがどれだけのもんなんだい」

という、自分からの視線が痛い。どうも、教えるという行為と己とが上手く馴染み合っていないというか、まるで両極端、異質なものに見えてしょうがないから、やたらに照れるのかもしれない。

 ただそれでも、神経を使う、照れるといったネガティブな側面ばかりではなく、教えるという行為には、それなりの嬉しさも確かに伴う。

 「たとい些細なことであったとしても、伝えるべき何かを、他の誰でもない私が伝えているのだ」

という思いが、自尊心を満たしてくれるためかもしれない。

 まあしかし、それなりの嬉しさがあるということよりも、

「テメエがそんなに偉い立場にあるんかい。人に物を教えられんのか。柄にもねえ事してやらあ」

 という自意識からくる照れの方が、自分の中では強烈なので、人に物を教える機会なんてのは滅多に訪れてくれなくて良いよ、というような気持ちになっている。あったとしてもたまにで良い。