是も非もないよ

 あまのじゃくの為か、それとも自己正当化欲求の為か、はたまたその両方か、いずれの為でも別に構わないが、

「この世に出るということは残酷なことだ。種の保存だって残酷だ」

という声を上げる度、

「イヤイヤ、そういうことばかりでもないぞ。この世は素晴らしくもあるぞ」

という思いが、抑えがたいぐらいに強く、根底から沸々と湧き上がってくるのを感じている。

 理性でもって、

「この世を肯定するということは、自身が生きていくために仕方なくやっていることじゃないのか。それは思考の停止ではなかろうか」

とやっている傍らで、何か、感情らしきものが、勢いよく、しかし穏やかに肯定の波を、こちらへ打ち寄せてきているのを感じている。いや、打ち寄せてくるものは肯定や否定の波ではないのかもしれない。私がひとりでに閉じようとしていることに対する、ただの反発の揺れなのかもしれない。いや、反発の揺れですらないのかもしれない。

 また、激しく否定の方へ、傾けば傾くほど、反対側から波が打ち寄せてくるだけでなく、自らの方からも、その波へ向かって、反動で飛び込んでいくような感覚を得ることがある。ひとところには留まっていられないかのように。また、あえてバランスを取っているかのように。

 肯定から否定へ、否定から肯定へ。もしかしたら、私が望んでいるのは、ただその反発、その躍動だけなのかもしれない。否定から入るか、肯定から入るか、そのどちらでもないところから始めるか。それはただ、波がどこから打ち始めるのかを、徒に気ままに、決めているだけのことなのかもしれない。