目が死んでいる

 自身の、目が死んでいる様に出くわすのが嫌なので、真面目な顔で写る必要のある写真を撮られることがあまり好きではない。

 それはそうと、私は、いつ頃から目が死んでいるのだろう。小学生時分の写真を見る限り、まだ目は死んでいない。しかし、中学生時分の写真を見ると、もう死んでいる。そこから今に至るまで一貫して目は死んでいる。ずっとだ。

 これだけ長い間、絶えず目がずっと死に続けているというのも、それはそれで凄いのではないだろうか。少しくらいは、

「真面目な顔をしていても、瞳の奥には抑えきれないほどの輝きが宿っている」

といった時期があっても良いはずなのに、そういう時期というのが全くない。一切ない。真面目な瞳に映る色は一貫して死そのものを表している。

 ひょっとして、瞳が一度も輝きを宿さないところをみると、実は身体を残して目だけが先に、本当に死んでしまっているのではないだろうか。視覚機能だけを残して。

 冗談はさておき、では、目がキラキラと輝いているのが当たり前という状態に置かれたいかと問われれば、それはそれで別にそうとも思わない。私の目が今から急にキラキラと輝きだしたら、おそらくそっちの方がゾッとするだろうと思うからだ。