「実は、書かれているものの方が、よくよくその人の性を表しており、会ったときにその人から受ける印象は、その人の演技にまみれているから当てにならない」
というような事実が仮にあったとしても、人というのはわりかし、
「会ったときにその人から受ける情報」
の方を重んじる傾向があるように思われる。
「あの人はこんなことを書いているけど、会ってみるとなんのなんの、とても良い人だった」
という話は聞いても、
「あの人は会ってみるとすごい嫌な人だけれど、書いてあるものにはとても良いことが書いてあったから、本当は良い人なんだねえ」
という話はなかなか聞かない。
私はこのことで別に、
「私の振る舞いなどは全て嘘にまみれていますよ。関わっている皆さんは騙されていますね」
と言いたい訳ではない。そうではなくて、私自身も比較的、書かれているものより、
「会ったときの印象」
を基にその人物の判断を固めていってしまうことがよくあるのだ。
これは何故だろう。冒頭の例で挙げたように、書かれているものの方が、よりその人らしさを反映しているということだって、無いとは言い切れないのに。
書かれる「言葉」というものに対する、根底のところでの不信感がそうさせるのだろうか。それとも、視覚聴覚など、五感をフルに活用して得られる情報を、より強く信頼するようにそもそもなっているのだろうか。はたまたその両方か。そのどちらでもない理由なのか。
ちゃんとした理由は分からないが、とにかくこれは不思議なことだなあと常々思う。