キャッチボールと言うより、壁当て

 よく、

「会話のキャッチボール」

などということが言われる。つまり、こちらが言葉を投げかけて相手が受け取り、相手はまたそれを投げ返してこちらが受け取るという作業の例えとして、キャッチボールが持ち出されているのだろう。

 もちろん、会話において、

「キャッチボール」

は重要なのだが、しかし会話が上手い人たちが行っているのは、どうもキャッチボールではないような気がしている。彼および彼女らがやっているのは主に、

「壁当て」

だ。つまり、

 『壁に向かって皆が一列に並び、各々が各々の目標に向かってバンバンと自分の投げたいボール(つまりは言葉)を投げ込み、合間合間に、

「今のボール良いね!」

などのよいしょが入る』

といったような状態が、会話の上手い人たちの間では続いているような感じがするのだ。

 キャッチボールキャッチボールと言うけれども、会話の上手い人たちは、キャッチボールのように相手の球をしっかりと受けとめてはいない。各々が目一杯に投げ込んだボールを、各々が褒めているだけである。

 そんなんで会話が盛り上がるのが不思議だと、私のような会話下手は思うのであるが(つまりしっかりと受け止めることから会話は広がるのではないかと思っている)、しかし、

「ふたりが向かい合ってキャッチボールをしている」

状況と、

「壁に向かってお互いが思い思いにボールを投げ込み続ける」

状況とをそれぞれ頭に思い浮かべてみると、私の考えの誤りに気づくことが出来る。後者の方が賑やかさでは圧倒しているのだ。

 それに、会話というのは、その場で一番喋っていた人の満足度が一番高くなると言う。すると会話の上手い人たちは、誰もが満足度の高くなる方法、つまり全員が投手である方法を自然に選んでいるのである。そこにキャッチャーを作らないのだ。

 キャッチボールが必要なのは、どちらかと言えば対話の方だ。対話に関して言えば、しっかりと相手のボールをキャッチしていないと、話が深まっていかない。

それに対して会話は、別に深みを出す必要は無いから、皆が投手になれば良い。つまり会話のキャッチボールではなく、

「会話の壁当て」

なのだ。