そういう運動

 ここのところ、というか昨日辺りからだろうか、何だかまたぐーっと気持ちが閉じてきている。

「急に閉じてくることに理由なんて無いんだよ」

と例によって自身に言い聞かせ、外的なものに様々な原因を求めたがる自分を抑えている。

 まあしかし、『気分のリズム』というカテゴリーでしつこく書いたが、全くもって表層の意識だとか意思は無視したところで、これらは閉じたり開いたりしているから厄介だ。

 閉じるのにもきっと、何か独自の理屈、私が知る由もない理屈があるんじゃないかと思ってきたが、どうも、ただ単にそういう運動として開閉があるのではないかというような気がしてきた。

 屈伸をしていて、伸ばしっぱなしでは留まっていないのと同じように、どこかで曲げる、つまりは閉じないと、生命として躍動していかないんだということなのかもしれない。

運動をせにゃというのが先、というより全てで、理屈は後で付けるただの言い訳みたいなものなのかもしれない。