表に出ていないと応援しづらい

 目立つ場所で脚光を浴びている人に対して、

「チヤホヤされて良い気になりやがって」

とやっかみを言う人がいたり、反対に、脚光を浴びている人自身が、

「今、大きく取り上げられているからチヤホヤしているだけでしょ」

と卑屈なことを言っていたりする。よくある光景だと思う。

 きっと、やっかみを言っている人の中には、

「何であいつだけあんなに支持されて・・・俺と一体何がそんなに違うってんだ」

という気持ちがあるのだろうし、チヤホヤされている側には、

「何で急にこんなに支持され出すんだ・・・今までは何だったんだ」

という気持ちがあるのだろう。

 確かに、今人気だからとか、目立っているからとかで何も考えずにチヤホヤする人が多少はいるだろうから、そういった不信感を抱くことも特別変なことではないのかもしれない。ただ、一方的に不信ばかりを持つ前に、一般の人とそれほど変わりのないように見える人たちが、それだけ凄い数の人から支持されることの前提に、

「表に出ている人は応援しやすい」

という事実があることも忘れてはならないと思う。つまり、ただ考えなしに熱狂している人たちばかりではないのではないか、ということだ。

 例えば、あまり表に出て目立った活動をしていない人(それこそ一般の人)などが好きの対象だと、なかなかどうして、自分はものすごく好きでも、あまりそれを堂々と表明することは憚られたり、相手の立場を想像したとき、

「特に目立った活動をしていないのに、いきなり熱狂的に支持される」

というのは怖いだろうなあということが容易に分かるから、余計に支持を表明することが出来なくなったりしているのだ。

 対して、表に出ている人は、

「大きな声で支持を表明してくれて良いですよ」

というお墨付きが与えられているようなもので、むしろそういう声を集めることが仕事になっているようなものだから、たとい好きでも、大きな声で支持を表明すれば大抵の人にはまず不信がられる世の中において、そういう人たちは大変貴重な存在なのだ。だから表に出ている人たちは、そういった行き場を失った、

「支持したい」

という気持ちを一手に引き受けているのだとも言える。

 つまり、表に出ている人が受ける(時には不可解にも思えるほどの)熱狂的な支持は、人々が普段抱いている、

「支持したくても、目立った活動をしていないから支持しにくい」

という抑圧の、爆発の結果でもあるのではないかと思っている。この抑圧された気持ちは、表に出ている人たちに向かうより他ないのだ。