めんどくさい、とは言わなくなった

 「何か言ったらどうなんだ?」

揉める原因があるとも思えないところへ、まるでわざとのように揉め事を作り出し、延々と、会議の真似ごとをしている。めんどくさい。それが率直に抱いた気持ちだ。もともと問題がないのだから、いくら話し合おうがそこに解決法だってあるはずがないじゃないか。しいて言えば、さっさとこの真似ごとを終わらせることが解決法っちゃ解決法だ。

 しかし、何か言えと詰め寄られても、そういうとき馬鹿正直に、

「めんどくさいです。早く終わらせましょう。」

とは言わなくなった。何か言えというのは、何でも思った通りのことを口に出せという意味ではないことを、学校で嫌というほど痛感させられたからだ。

 むろん、何か言葉を発せと相手が言っているのだから、それに対して、

「めんどくさい」

と返すのは、ひとつの立派な形ではないか、何故、ひとりのめんどくさいという気持ちを蔑ろにし、集団でもって黙らせるのか、といった類の疑問は、未だに持ち続けているのだが。

 ともかくも、こういうときは、

「めんどくさい」

と思ったら、へらへら笑って黙っているに限る。こいつは何も考える頭がないのだと早々に呆れられるのが得策だ。解決のないところ、問題のないところへ一緒になって入っていって、あーだこうだ言うほど馬鹿馬鹿しいことも他にない。思えば、最近は随分とへらへらしていることが増えたような気がする。