お手伝いに行く

 自分の持ち場ではない、どこか1回きりのところへお手伝いに行くことが決まった場合、他の人々は一体どんな気持ちになるのだろう・・・。

 私の場合は、行く予定の日より大分前の頃から憂鬱な気持ちになっている。何故と言うに、勝手の分からないところへ放り込まれているのに、勝手を知っているかのように動くことを求められ、その無謀とも思える理想設定にこちらが届いていないと分かると、途端に嫌な顔をされ、また、手伝いに来てもらったという意識を微塵も持たず、

「何故来たのか」

と言わんばかりの態度で、雑に接せられた後の精神的疲労が尋常ではないことを、経験として知っているからだ。

 ああいう、自分の持ち場ではないところへも、

「いつでも行きますよ」

というような具合で、前向きに飛び込んでいける人のことが羨ましい。