想像を排すことも想像力なのかもしれない

 未来はどうなるか。知ることの出来ないほど遠い過去の日々はどうなっていたのか。今、彼または彼女は表情の裏で何を想っているのか。自分がこれをしたら受け容れられるんじゃないか、否、受け容れられないんじゃないか・・・。

 こういうように、見えていない部分を思い描くのが想像力と言うのだろうが、力と言う割に、こういうものは自ずから、そして徒に、あっという間に頭の中に、何の労苦も無く拡がっていく。

 すると、こういった徒に拡がっていくものに対し、

「それは幻影、思い込みである」

「現実にはそんなものない」

「それは不安故の被害妄想」

だと抵抗を試みるのも、いや、むしろそちらの方が想像の力なのではないかというような気がする。そんなものはないと想像してみる。その作業を為し遂げることの方が訓練を要するし、難しい。