前に一度、どこかで書いた記憶があるのだが、どうも、あまり私のことを知らない人たちには、私というものは非常に穏やかに映っているらしい。
まあ、その理由は分かる。外に出て行ったとき、別段怒る理由や不満の類が見つからないため、ほとんどの時間ぼんやりと佇んでいるだけなので、それを穏やかだと見ている人たちは何も間違ってはいない。
しかし、その先で間違われる。つまり、家族、生育環境も同様に、始終穏やかだったのではないかと思われてしまうのだ。
「きっと、反抗期や何やらも無かったんでしょう?」
「ええ、まあ・・・」
本当に穏やかな人は反抗期もなく、それで別にその後も歪むことなく行けるのよ、と嬉しそうに続けるのを見ては、曖昧な苦笑いをこぼすより仕方がなかった。
反抗というのは、安心が裏に無ければ出来るものではない。私にとっての家庭環境は、終始緊張の連続だった。
まあ、そんなことを説明する必要も益も無いので、
「別にそこのところで誤解されていようが構わねえやな」
などと思ってその場はやり過ごした。
さて、このような話をどこで書いたのだっけか。記憶を頼りになるたけ同じように書いてみたつもりだが、後で見つけたら、比較してみると面白いかもしれない。