気配すら嫌

 不可解だ。これだけ何度も何度も何かを書き残しておきながら、何がそんなに不愉快だと言うのだ。書いている過程を見られるのが、そんなに嫌か。

 見られるのが嫌なんてもんじゃあない。書いているとき、誰かが近くを動いているのを感ずることすら嫌なのだ。気配すら嫌なのだ。動くな、とは言わないが、それでも、絶対に寄るな。

 どうしてだ。確かにキツイことを書いている日もあるが、別にそうでもない、穏やかなものを書いている日だってあるだろう。そういうときも嫌なのか。

 書いている内容が問題なのではない。見られることそれ自体がもう、虫唾が走るほどに嫌なのだ。しかし、穏やかな話を書いている一方で、その動きを見られること自体には激しい怒りを感じているなんて、どう説明したところで伝わらないだろうな。あっ、おい。寄るな。去れ。