フィナーレに向かうというより、ぶつ切り

 道から次の道へ、ただ単に淡々と歩を進めているとき、何の前触れもなく、

「突然今死んだとしても、何らおかしなことはないのだ」

という考えが頭を過る。つまり、この生は何かのフィナーレに向かっているのではなく、いつとも知れぬぶつ切りの可能性を抱えているだけなのだという、払拭し難い感覚に捉まえられているということだ。

 人は、死期が近いことを悟ったとき、

「間違いなく終幕を迎えている」

ことを感ずるのではなく、

「いつとも知れなかったぶつ切りの可能性が今、極限にまで高まった」

ことを感じているのではないだろうか。