<19>「剥がれているもののこと」

 人間全体の一部としてだとか、一体感が大事だとか、使命が何たらとか、どうしてあんなに賢い人たちから、そんな言葉が出てくるのだろう。そういうことを言わないと、どうなるか分かっているんだろうなと、他人に脅されてでもいるんじゃないかと考えて初めて納得のいくくらいなものだよ(自分自身に脅されているのだとしたら、それは迷いだから到底納得できないね)。

 生まれてから死ぬまで、たったひとりだが(他人には触れることが出来るだけだ)、希望も必要としなければ、もちろん絶望も必要としない。幸福か不幸かなんてそんなことはどちらでもいい。歩む道もなければモデルもない。そういう人生は空恐ろしいと言われるかもしれない。しかし、この酷な事実に付随する空恐ろしさだけが確かなものではないかという気がするから、怖ろしいと知っていてもそこを離れ難い、いや、離れたくないと思っている。希望や絶望、幸福や不幸などは、状況によって簡単に変わる、あるいはあっという間に霧散するもので、そんなものに目を据えている訳にはいかない。何らかの繋がりがあるかのように上手く見せかけるだけで、ひとりひとりはハッキリと断絶していて、全体として生きることなど出来ずに(そういう感じを抱き得たとしてもそれは錯覚だと思われる)、ひとりのまま死んでいく、その自由な、浮遊した遊戯の空恐ろしさ、そういうものしか信用できはしない。