<27>「語りと沈黙が同じになるところ」

 説明がないということを説明する。何かを語ることそれ自体が説明であるとすれば、説明というのは無いんだということを延々と説明し続けるよりほかに道はない。自然と口数は多くなる。鳴り続けている音は騒音であることをやめるだろう(程度にもよるが)。それは風景となり、沈黙となる。黙っているのと話しているのが全くおんなじになってしまうまでには、大変な月日を要する。しかも、説明が可能になるという考え自体は、ずっと斥け続けていなければならない。

 毅然と、説明を付与することも説明されることをも避け続けると、どうなるのだろう。私は、繁茂した木々の群れに、陽射しを受けた海面のようになりたいのだ。まともに受けていたらこちらがやられてしまうような絵は、その大きさにもかかわらず、壁として違和感が無くなっている。