<61>「全てが逃走だ」

 逃げ惑う。好もしさ、そうあれという要請、止まった? 肉体の上でのことだけだ。ハッキリ去るのはもちろん、オロオロとそこいらをうろつくのも、キッパリ決めてしまうのも、何ひとつ逃げでないものがない。どこかの目標点に向かって、見失いそうになりながらも追い縋る。そういったイメージ、しかし、人物の向きが逆だ。切りのない目標点からの逃走、しっくりくる。逃げではないかという疑い(他者からの)、自責の念は、ただ単に好もしさと相反するというところから生まれているに過ぎない。私の責め、他者の批難に従って、何かを決めたとしよう。それが逃げでないように見えるのは、錯覚だ。全部が逃走であってしまうのならば、そもそも何ひとつ逃走ではないのじゃないかと考えることは出来る(なんせ、例外がないのだから)。しかし、いいか、ひとつ残らず、そうその全てが逃走だ。