<67>「不安がなくなる不安」

 心持ちが動くことに、何ら(何らと言って良いかどうか)抵抗はない。そこを固定化して、動じないぞとやるのが自由でないことは明白だろう。動きたいなら、勝手に動くがいいさ。警戒するのは、ある着地点、動きの一点に拠り所としての役割を求める気持ちが芽生えだすことだ。あっちこっちに振り回されてまるで自分の置きどころがないことが不自由だと感じているのはまるで錯覚であって、

「ああ、そうそう、この感じこそ求めていたもの・・・」

と、住む場所を定めたがり出すことこそが不自由の源なのだ。まあ、それを僅かでも求めてしまう気持ちがある一方で、ある地点に固定化することによって生まれる飽き飽きとした気分、興醒めの気持ちが他の一方にはあり、それらが量で圧倒してくれているから、今のところは大丈夫だ。結局、おかしな話だが(いいえ、何にもおかしくないわ)、所々ぷつぷつと切れていて、定めた場所がなく、不安であってくれないと不安なのだろう。不安が無くなる不安、それはそのまま自由の別名だ。