<93>「感じのなさと明日」

 何かを経験しているという感じの稀薄さ、経験自体が稀薄なのではない、というよりそれが濃い経験であろうが薄い経験であろうが、どうにも私のものとは思えないという、流れを見させられているだけというのともまた違う、実際に今何かをしている、そのときはいい、感触もある、しかしそこを離れた瞬間から、どうにも今その経験をしていたとは信じられなくなるような距離感(道具がそこにあってもダメだ)、そのものとの断絶、名残がないのか、再び着手すればまた経験感が戻ってくるのだが、もちろん着手していないときに様々なものを経験している感覚が付き纏っていたら気持ち悪くてしょうがないだろうが、常に流して流して流していくことに対する、この身体的なものに対する折り合いのつかなさ、むろんそれだからこそまた新たに違うものに着手出来る、同じことを繰り返せるのだろうが、やっている間にしかやっている感触がないということ、逆に、あったら気味悪いだろうということも感じながらのこの不和、ぎこちなさ、それを突き詰めると延々に同じことをやり続けなければならなくなるだろうが(始終行っていないとやっていることにはならない!という状態になるのは怖い)、そうか、また明日もやっていける、経験感がないからかもしれない、あるとき鮮やかに蘇る、経験はそれだけ密接なものであるのに、この付着感のなさ、それだからまた、そしてまた、またまたまた・・・。