<121>「宙ぶらりんであれという声」

 それが一般的に愚かさの証とされることが分かっていても、自分が納得していない限り、あるいはぼーんと突然(無理やりにではなく)分からせられるときが来るまでは、賢明なフリをしないこと、分かったフリをしないこと、いつまでも納得出来ない、考えに考えても納得できないときは、生涯愚かさそのものであることすら辞さないこと。どうもそれは一般的だというだけであるかもしれないから(幻想かもしれない・・・)、分からない限りはフリをしないだけでなく、愚かであるとか賢明であるとかの判定を自身に下さない、宙ぶらりんに耐え続ける、外側を壊すのではなく内側で回し続ける、じっと見る、忘れない。忘れないでおくという言葉はどうも脅しとして響いてしまうようである、そうではなくてそれは大切な材料だから忘れないでおく、その言葉以上の意味はないのだが、まあ言わないのが一番いい。立場を決めて、いや立場自体になって発言することの楽さ、宙ぶらりん、決まらないということの苛立たしさ、どうして楽な方を択ばないのか、誰に強制された訳でもなし、そこで楽をしないからと言って他の人より何か偉い訳でもなし、何らかの成果を見込める訳でもない、そこだろう、成果で動く以外のことは有り得ない、という話を当然疑っている、禁(それも勝手に思っているもの)を破ったから別にどうということもないのだけれども、破ってはいけない、じっとして留まれという要請が何故かある、それは私が私に強いていることなのか、何かに強いられていることなのか・・・。