<134>「混乱と狂気」

 破れかぶれも、行き過ぎると普通になる(見える)、以前混乱の極まりを書いたことにも通じる。しかしまあ、「普通になる」というのは普通ではない訳で、「知ったこっちゃあない」と思いながら、何事もなかったかのように動いているのは正気の沙汰ではないのかもしれない。であるから、ちゃんと心配していたり、不安になったりしている人が、取り乱して上手くいっていない場面を見ると、何とも言えない切ない気持ち、申し訳ない気持ちになる。狂気をコントロールしようという不遜な思いに捕らえられている、意味とか目的とかがただの想像でしかない地平で生活が継続していくのは間違いなく狂気だ、そういう訳で狂気は別に特別な例ではない。正気とは、今私たちが続けている生活というものがまさか狂気の産物だとは思っていない、一時的な姿勢のことを言う。つまり何をしているのかと言えば、狂気であることを確と認識しつつ、どうせ狂気なら思うさまに動かしてやろうとしているのだ。当然こっちで利用してやろうとすれば向こうにも利用されるのが常だが、それはそれでいいのだろう、混乱の極まったところに混乱がまた加わろうが、それは大したことではない。