<139>「途方に暮れるという時間」

 途方に暮れていた人、終始途方に暮れ続けた人を笑えないと書いた、それは自分の似姿だ、いや、自分よりも自分自身であったのかもしれない。与えられたものに対して、こちらも積極的に答え(応え)を付与していく、何かを見出していくことこそ生きるという作業だ、と自信を持っている人たちに、ずっと驚いているのだろう(良い意味でも悪い意味でも)。ずっと驚いている人間の顔は、驚きを顕にすることを忘れている、いや、そのように動くことが不可能になっていると言うべきか。延長を続ける長い一日と、断続を繰り返す幾日と、全く矛盾しないということが受け容れがたいのは、頭で考えるからだ、身体は何らの違和も表明していない。あれやこれやの数え切れない程の経験をして途方に暮れる、草臥れた背中、よく分かる、しかし、何も通過していないとも思えるような幼子が途方に暮れていたって別におかしくはない、途方に暮れることから始まることもあるからだ。まだまだこれからであるかどうかはその点関係がない。