<153>「便宜と把握」

 何でもこれひとつで説明できる、うん、様々な要素からその分野で使えるものだけを取り出して、記号(言葉もそう)に置き換えていけば、あらゆる領域のことを、それひとつでとりあえずは説明出来るようになるだろう。故にこれを究めれば、全部のことが分かったことになる、いや、ちょっと待て、説明できることと全部分かったことは違うのではないか。ある現象、存在から、説明できる部分だけを取り出し、そういったものを方々から集めてひとつの体系を築き上げても、理解出来たのはその切り出してきた諸々の断片のことだけなのではないか。また、厳密に言えば置き換えられないものを、ある種の力技でえいやと同じにしてしまうのだから、説明出来るのはある意味当然だと言える(あれもこれも同じと認定するのだから)。でも、現実にそれらは同じではないではないか。勿論、同じでないものを便宜のためにある程度同じものとしてまとめることは有効だし悪いことではないだろう。しかし便宜のためにいっしょくたにしたのは完全にこちら側の都合であって、全部が全部違っている対象のことを、そんな便宜のための整理によって完璧に分かったなどと言うことが出来るはずもない。便宜のために使ったものはあくまでもその範囲に収まる。便宜は便宜として捉えればいいのであって、それ以上の全体が分かるなどと考えるのは良くない。