<159>「怒りに翻弄される」

 何かのきっかけで、どこからか怒りが湧き起こり、激流となって荒々しい渦を巻く。カーッと来てるものと一体になるようなところもありながら、主に翻弄され、戸惑っている。こういうとき、いつも不思議な思いをする。翻弄されるなんておかしいではないか? いや、別におかしくはないのだが・・・。それは、おそらく多くの人にとって尋常普通の経験であるだろうから、おかしなことが起きている訳ではない。しかし、冷静に考えて、戸惑わされている事実は何を意味するのだろう? 戸惑わせ、翻弄しているのは誰か? 怒っているのは私ではないのか・・・? 

 これは感覚的なもので、怒りの積み重なりは、私の中に、ある種の道を作っていると思われる。それは確かな形跡として残っているのか、それとも、もっと意識や無意識に近いものなのかは分からないが、普段はその道の流れは、何ものかによってせき止められている。しかし冒頭で述べたように、何かの(それも嫌な)きっかけが、その止めているものを外すことがある。そうすると、止められていた流れは、怒涛のように走る。長年の月日が形成してきた怒りの道のあれこれを総ざらいして甦らせ、怒りの運動は沸騰する。このきっかけを与えるもの、あるいは与えられて止められず、流れさせまた道を形成させてしまうミスを犯したのは私かもしれないが、作られた道を物凄い勢いで流れるものに関しては、完全に私の範囲、力を超えてしまっている。それでどうかして、怒ったはずの私が、より強くその怒りの方に翻弄されている、ということが起きるのだろう。