<169>「大袈裟なこと」

 大袈裟になることをどうも挫かれるように出来ている。辛いことや悲しいことがだんだんに自分の中で大袈裟になろうとしているのを見ると、笑ってしまう。苦痛が随分と簡単に快楽へと接続されるのを覚えて、何となく胡散臭さを感じるようになり、そして幸不幸というものがよく分からなくなった。簡単に転倒するではないか。一生懸命怒っていたことを思い出し、どうしてあんなに一生懸命になっていたのか、自分でも不可解でヒクヒクする。大袈裟が似合わないのは私だけの問題か全体の問題か(そんなことはどちらでもよい)。規模が大きいというだけでは必ずしも大袈裟にならない。規模が大きくたって自然なものは自然だ。大袈裟なことがおかしく感じるというのはつまり、大袈裟なことというのは存在しないのでは。しても不自然。