<176>「視線の無時間性」

 その日、私は歌をつけていた。ゲームに付随する応援歌のようなものを。いや、歌は友達がつけていたのかもしれない。可笑しくなって続いた。その楽しみに夢中になる一方、何か幼過ぎるような、似合わないような感覚に陥り、事実そのときは幼かったのだが、今の私と目が合った。いや、そのときに、先にいる今の私を見ていたのかもしれない。ちょうど今目が合ったと思うのは、今思い出したからだろうか。そのとき先の自分が否応なく意識され、幼い今が本当なのか、先で見ている年輩の目が本当なのか、いずれにせよ、そのときはどこまで遠くなのか分からなかったものが、今ここで嵌まったということなのだろうか。

 実年齢、というより、現在の皮膚感覚とは合致しない視線、それも自分のものとぶつかることがある。確実に記憶に深く残るのが分かるが、見つめられたものがいつ再び上昇するのか、見つめた時期といつ出会うのか。ともあれ何かを見ているということには時期のズレがありそうだ。今の自分が全部を見ている(見ることが出来ている)訳ではない。