<178>「欲望に名前はない」

 欲望が迷いであるというのは、そういうことではないか。つまり欲望に惑わされるから気をつける、しかし何故惑わされるかというと、欲望自体が混乱している、欲望が迷っているということだ。これは、無意識をイコール本音に安易に結びつけることに対する疑問から起こったのだが、抑えつけられていたもの、気がつかなかった欲望などが診断や分析で明るみに出る。しかし本音であったはずのその欲望の解消が、あろうことか、後悔を呼び起こしたり、何か違うという気持ちを起こさせたりする。これはどういうことか。欲望自身、訳が分からないまま盛り上がっているからだ。静かな状況で、

「これをやりたい」

と立ち昇ってくるものばかりでなく、むしろそういうものは少なく、不安や怒りや焦りや昂りや、そういうものの力によって何だか分からないうちに欲望というものが形成される。しかし立ち上がっても欲望は曖昧で混沌としていて、不安定に慄えている。行先が分からないだけに出口を求めて殺到している。

 欲望を去るというのは、自身が何も欲さないように去勢していくというより、それ自体混乱の賜物、ストレートに本音とは結びつかないということをしっかり見極めなさいということなのではないか。無意識の現れとして夢が持ち出される。その夢から本音を汲みとる、隠れていた欲望を取り出してくる。しかし取り出してきたものはこちらの都合もあるからやけにスッキリしている。現れ自体であった夢はどうだっただろうか。全体がぼやぼやして混乱していたのではないか。それをそのまま見なければいけないのではないか。不確かだったという事実を。