<218>「私の喉を通るまで」

 何を表しているのだ。何が表されるかは、さして重要なことではない。表したことで何かが変化していくことの方が大事なんだ。表すとき、表すことを必要とするなかれ。表され、それであれ、あれそれ。大事な問題と、大事でない問題と、どちらであるのかが分からない。興味の持ち方は様々であるのに、興味の示し方だけいくらか限定されていやしないか。大それたことを言うか。長らく見つめ合うことにはそこまで価値を見出せない。自在に出現する、いや、自在でもなく勝手に出現してくるその影に幻惑されているだけなのかもしれない。興味の持ち方が各々違うばっかりに、上手いことすれ違うのだろう。示し方はひとつにしましょう、それでは貧しいという気がする。