<223>「違う現実が少し来て」

 全然その人のそのことについてガッカリしたこともないし、むしろガッカリしたなどという感想を抱くことすら忘れていたぐらいなのに、その当人から、

「知ってると思うけど、俺本当こういうところが駄目でさあ・・・」

と言われてしまうと、途端にガッカリしてしまう、思い出したようにガッカリがやってきてしまうのは何故なのだろう。

 例えば、

「お前、そんなこと言うなよ」

と、わざわざ言ってきたという事実にガッカリしているというのなら分かる。だが、そうではなく(それだけではなく)て、こういうところが駄目だと言ってきた、その、駄目だという内容自体にガッカリしてしまっていたりするのだ。これはどういう訳だろうか。忘却の彼方に追いやれていたはずのものが、また引っ張り出されてきてしまっただけで、最初から本当はガッカリしていたのだ? いや、忘れてはいないし、忘れようと無理をしていた訳でもない。そういうところもあるということをちゃんと知っていた、知っていて、それを欠点だとかガッカリすることだとは思ってもみないでいた。しかも自然に。ただその部分は、改めて当人によって言及されると、何故だが急に、ガッカリするものへと変わってしまう。この間には何が起きているのだろうか。

「お前が欠点だと認識するのなら、そりゃ欠点だ」

ということなのか。しかし認識が、こちらとあちらで一致しなければいけない理由もないはずだ。

 どこかに誤魔化しがあるか。ガッカリすることでもないと最初から思っていたのなら、こういうところが駄目なんだと当人に言われても、そんなことはないよと返せるはずだ。返せなくなるということは、どこかガッカリしているようなところが前からあったのか? しかし、前述したように、ガッカリすることでもないのだと、無理に思い込もうとしていた訳ではないそう自然に、何てことはないと思えていたのだ(もしかしたら、そんなことをわざわざ思ってもみないぐらいに気にしていなかったかもしれない)。一体当人から言われることによって、何のスイッチが押されているのか。全く分からない・・・。