<246>「ただ悪であることを書くことは」

 ただ悪であることは難しい。自分が悪だということを語り、恥じること、そうです俺は悪いんですと開き直ること、またそれを外から客観的に眺めて、今私がやっているように淡々と、恥じもせず開き直りもせず、悪について書いていくこと、こういうことの全ては慰めとして機能するからだ。真摯に反省をしていても、また反省から離れて、ありのままをぐっと見据えていても、それに、触れる(言及する)という行為が挟まった瞬間から、それら反省は自覚的無自覚的にかかわらず、慰めとして機能してしまう、というジレンマから、悪を(それも自分の悪を)語ることが出来ないという事態が生じる。そう、自分の悪というものは自分で語れないのだ。語ると、それが慰めになってしまうから。では、何故それを分かっていながらこういうことを書いてしまうのかといえば、冒頭で言ったように、ただの悪であることがそれはそれは難しいことだからだ。悔やんでみせたり、開き直ってみせたり、淡々と書いてみせたりしないではいられないのだ。

 自分が悪であるという自覚を前にして、一番誠実な態度たりえるのは、一言も発せず黙っていることだ。自分の悪を他人に責められているときはもちろん、誰にも責められていないとき(これが一番難しい)にも、ただ自覚だけして黙っていること。ただの悪であるのには自己訓練が必要だ。そしてもうこういうことは書かないことも・・・。