<267>「余剰分も生まれては生きている」

 美しさでないものは深さを増した。萎れていくものの横で、色をも増やす。むろん、よりひとつの色が濃さを増しもしたのだった。美しさであるものの汚さを静かに見つめ、微かに笑いもしなかった。若いというのはどうにも頼りないことだった。身体がよく動くというのは、いくらか頼りない・・・。持っているものを充分に余して、その割にグッタリと疲れると、余していたものも同時に退散する。何のために余っていたのだろうか。それは、多分、余力を残すためではなかったのだ。つまり、余力を残してしまう、要らないものもとりあえず蓄えてしまうのだ。それでは、無意味に疲れるのも当たり前だった。遊びがあることは大事だが、それは、あれもこれも持つということではないのだろう。遊びがなければいけない。身体がそれを感じるようになるには、不可抗力の衰えを待つよりしょうがないのかもしれない・・・。