<323>「側であることのいやさ」

 側(がわ)に立つのが嫌なのかもしれない。しかし、側しかないのではないだろうか。それで、こうでもないし、ああでもないのだという言い方を採用していると、はて、私は何なのだろうということに、あるいは、どこなのだろうということになる。私は、どこなのだろうか。どこでもないところは側ではないのだろうか。仮に側であるとして、それは何の側なのだ? 側でないところに立っていたとして、その下は地面か? 地面があるように見えているだけで、立っていると考えているのも幻想なのか。側でないものは浮いているのか、落ちているのか(落ち続けているのか)。

 どこかに、側であることを嫌だと思ったタイミングがある。そこからもう長い年月が経っていて、それでも何も変ったように思われないのだが、そのことは立っていることの証拠になるのだろうか・・・。