<336>「遊び」

 遊び(遊戯から、余裕などのことまで含める)を取り戻すということにも当然興味があるのだが、遊びが失われていく過程、失われていくこと自体にも興味がある。ふざけているだけでは駄目かもしれないが、遊びがなければ物事は硬直してしまい、上手くいかなくなる。しかし、意図せずして真剣な努力は、知らず知らずのうちに遊びを追い出してしまうことがある。遊びをなくすように動いているつもりはないのだが、方々で詰めていくうちに、気がついたら遊びの領域が全くなくなっているようなことになるのだ。

 まず初めに、遊びでしかない時期があり、しばらくすると、法則に縛られるのか、秩序立てていかないことにはその先がないからなのか、急激に遊びの領域が狭くなる。そしてそこを突き抜けた先にはまた、遊びが拡がっている。この、開いて閉じてまた開く運動は、必然なのか、つまり開きっぱなしではダメなのかどうか、ということだ。一旦、必要があって閉じているようにも思えるし、ただただ圧倒されて硬直してしまっただけのようにも見える。いずれにしろ、ただ遊びであった時期はともかく、組み立ててガチガチになっているところへ、あえてまた遊びを入れることの困難は相当なものになっていると言える。突き詰めるということがまず、遊ばないということと密接だからだ。