<391>「出来事と色」

 それがある前とあった後では、何もかもが違ってしまっているのだろうという出来事を想起してみる。尤も、それだけのものだから、こちらの意向など一切お構いなし、向こうのタイミングで、好きなときに突然頭の中に訪れてくるのだ、と言った方が正確かもしれないが(つまり、思い起こしてなんかいないんだ)、ともかくそういう出来事があると。そういう出来事があれば、一切の余計な要素は一旦脇へ追いやられて、今ここでは、出来事の前にひれ伏すしかないと、誰もが言うし私も言うし、出来事自身もそう言っている。しかし、空間というのは何とまあだだっ広いのである。それは物理的なこととそうでないこととをひっくるめてそうなのだ。出来事自身がいくつもの色を生んでいると思うかもしれないが、出来事は出来事それ以上でも以下でもない(だからこそ単独でもひどく重たいのだが)。あんまり用意された色が少ないもんだからと、色を足すのはこちらであるのだが、空間は充分にある。その充分にある空間で暇を(あるいは色を)潰していると、いつの間にかそちらの方に中心を移せていたりもする。それで、出来事という明確な遮断物にもかかわらず、道でないところをただ黙々と進んでいる姿を発見したりする(あいつはどこを歩いているのだろうか?)。何も、そいつが進んでいたのは、出来事が生む困難を既に乗り越えたからだとは限らないのであって、現に当初の色が何色であったかなどが分からなくなった場所で気軽にストレッチなんかをしていやがる。それを見れば、ポカンとしてのち、呆れて笑ってしまうしかないのだろうが、なるほどこのようにすればいいのだと、納得した人がひとりやふたりはいたことがそれなりに良かったのかもしれない。

 出来事が重要でなくなることなど今後もなく、相変わらずの重さであることは間違いないのだろうが(軽視するったって、そんなのは無理さね)、いくつかの空間に適当な色がまぶされていけば、なんとはなし歩いていけることもまた確かなようではある。