<405>「歩き方の達人」

 遠路はるばるやって来て、寸前だというのにもかかわらず、あら違うと思ってぷいっと帰っちゃう(どこで見た話だったか、未だに見つけ出せていないが)、これは、フットワークの軽さ、動きの自在さというだけではないかもしれない。では、この境地には一体何があるのか。それは、私がそこまでのところに到達出来ていないのだから、分かってくるべくもないとは思うのだが、その状態でも何かを探すことだけはしてみなければならない。いや、そうやってスタートを力込めてぐいと設定してしまわないで、それこそぷいっと始めて、そのまま続けていければいいのだが、さて何を手掛かりにしたら良いのだか、権利と義務などというカタい方面から入っていくのか。どこかに動くということが、この達人においては義務になることがないから、方向転換にも、後悔や未練はなく、もうここまで来たんだぜという気持ちが、意識に上ったかどうかさえも怪しい。大事なのは、自宅から遥か遠くの友人宅目前という状況で、引き返すという事実の方ではないのだと思う。それこそその引き返しに、無理が伴ってしまう場合も、人によっては大いにあり得る、というかほぼ全員がそうなるだろう。片や達人は、たといそこで引き返さず、そのまま友人宅へと辿り着いたにせよ(それだと特筆すべきエピソードこそ出来上がらないが)、その動きの軽さは、義務でなさは、風のような流れであったということだけは言えるはずだ。究極を言うと、それは歩き方の鍛練の果てとも言えるかもしれないのであったが、何かを詰めていくという気持ちを無化するためには、一度その詰めていくという事実に真正面からぶつかっていかざるを得ないのだ。