<414>「奥底的な快楽」

 禁欲的な態度、生活実践に、固有の辛さ苦しさは確かにあるだろうが、そういうものに対して、

「偉いね」

と言っている人を見かけると、それは少し違うかもしれないぞ、と思ってしまう。

 第一に、思うさま欲望を解放した後の、言いようのない虚しさを回避出来るから。禁欲的にしていれば、そういった虚しさは伴わないか、伴っても僅かのものであるだろう。

 第二に、逆説的だが、禁欲的生活実践の追求には、また別の快楽があるからだ。素直に動物的に欲望を解放するときのような、パアーッと拡がっていく感じの快楽ではなく、奥底で湧き出して、次第々々に各所へ染み渡っていくような快楽が。

 要するに、楽しさも苦しさと同じだけ、あるいはそれ以上に存在するのだ。だから、楽しみたいところを頑張ってぐっと抑えて、他のことをやっていて、

「偉いね」

と言っているのであれば、それはおそらく違っていると思う。