<421>「安易は馬鹿にならない」

 安易。さあ、安易なるもの、それは、私? 安易な本、安易な話、安易な関係性、

「安易だなあ」

と思いつつ、近づいて、手を伸ばす。思いのほか、影響を受け栄養を見て、馬鹿にならないものだなと思えば。

 そう、安易は案外馬鹿にはならない。こういうものはしまいに無くなってしまえばいいのだよと、おカタく言えば格好は良い。が、全くなくなってしまったらしまったで、とても窮屈を、バランスの悪さを感じるのだろう。おカタさ一本ではどうも難しい。でも、隠すんですけどね。他人の目からも、場合によっちゃ自分の目からも。そんなものは私と関係がないと、関係を持ったことがないということにしている、したがる。

 経験がないので分からんが、どうも愛人、もっと言えば情婦との関係みたいなものに通じてこないだろうか。お互いがお互いの上で、思うさま欲望を解放している、そこから大変な満足を得ている、相当な栄養を受けている。のに、心の中では、本当に愛する人と比べちゃ、一等下だと思っている軽蔑している、バレそうになれば隠すコソコソする。助けられてんのにね。自分も同じ立場ならやっちゃうのかな・・・。愛人を持たなければいけない、情婦を持たなければいけない。

「馬鹿だな」

だけでは、意外に片付きません。

 しかし、安易さを内に持つということと、安易さに流され溺れていくのとではまた違うだろう。理由らしい理由はないが、安易さに溺れてはいけない。自分を安易なものだと知りつつ、そこから何とか距離を取っていこうとするところにしか、精神の美しさはないと思えるから。これはまたどうも親子の関係に通じてくるところがありはしないか。世話になってるから、そこから離れるなんてとても悪くて出来ないよ、とやっていると、双方とも倒れることになる、ただただ駄目になっちゃう。安易も一緒じゃないのかなあ。安易さを斥けるのではなく、内に抱えたまま、そことは逆に動いていく。しかしこの運動は、安易を無かったことにする場合との外見的違いが分かりにくいので、当人の努力も自ずから難しくなるというもの。安易はなかなか馬鹿にならない。