<425>「恥ずかしいあぶら」

 なまなましいが、どうだ。私は恥じらった。自分が、なまなましくないことにか? まさか! いや・・・。どうも、なまなましさのない方へ、ない方へと行くのが頭の働きであるらしい。その無数の結果の中で、歩いている。

「なあんだ、随分と透明じゃあないか!」

そうだなあ・・・。ただ、無数の結果の中を、なまなましくはない考えの集積の中を、最初から歩んでいることでこうなった、という意識はどこかにあるかい? なに、なくてもいいさ。

 さて、なまなましさを、効果的、戦略的に回復するのか。それとも、浮かび上がり切ってしまわないよう、ただぐいとその場で踏ん張るのか(なにも、より綺麗により綺麗にと浮いていくだけが思考じゃないんだ)。その両方が必要なのか。どちらとも、やはり無用物であるのか(やはりとはなんだ!)。ともかくも、なまなましさは恥じらわれなければならない。あの羽ばたきと姿勢を同じくする訳にはいかぬから。それだのに、どうしようもなくなまなましさでなければならない。嫌だという感想を、忘れさせるぐらいの出で立ちで。