<454>「手の覇権」

 余計な考えだ。何が余計な考えかというと、これだけたっぷりの時間があるのだからもっと余計なことを考えることに時間を割いたらいかがか?というその動きがだ。あなたは具体的に動くことを検討し、だる~んと境界移動を開始しながら具体的にこちらでも動けばいいだけなのだとそう言っているんだ。このセルフストップとでも呼べるものには何かおかしなところがある。何だか濁っている重たい動きの悪いものを感じるからちょっと後だ(クリアになる瞬間というのがそのうちにあるはずだ)、という考えが悪い訳ではないが、それは手の覇権を未だに認めきれていないということで、しかし手の覇権であることは火を見るより明らかだから、このセルフストップとでも呼べるものはなんとなくおかしな様相を呈し出すのかもしれない。手の覇権ではない、と考える方がいくらか傲慢なのだ。

 それで、余計な考えについてだが、それがなければ窒息してしまうとかねがね申していたのは私だったのでございますではないか、どうか。それはその通りであるのだが、具体的な動きの進行でないところに余計さを見ようとするからおかしなことになるのであって(つまりそれが具体的な動きの不可解な一時的回避につながる)、だる~んとした具体的な動きが開始さるればこそ、そこに余計な考えもぽつ、ぽつ、ぽつと生まれてくるようになるのだ。そのようなことであるが、どうも、中心からすーっと空っぽになって動いているもんだから、よく分からない不安がやってきたりする。例えば朝一番で鳴き始めるカラスなどは、再びの明るさを感知して安堵するだろうか。

「そうか、朝ですね」

と思っているだけのようにも見えるが、表情に出ないから感情がないはずだという仮説が当たらないのは自分の顔の観察結果からもよく知っているはずのことと思う。以上です。