<467>「泥のなかの静けさ」

 次々と、泥にはねられて行く人々よ。私はあの歩みを見ている。特別な感慨が必要になった訳ではないのだが、時間の積み重ねが、ただの穴になるように、慎重に見ている。

 ただ歩むこと。そこに、感激も切なさもないこと。ぼんやり眺めていると、次の瞬間には、後ろ姿になっていること。そこに一切がある、物凄さがある。

 放心の前後に、放心などまるで関係がないような顔を用意しておく。すると、痕跡は残るにせよ、何事もなかったのだと言わんばかりの歩みが、いつの間にか始められているのを見ることになるだろう。

 否定的な意味内容とは関係のないところで、何も感じない瞬間を読み取り、また、それそのものになればいい。確かに存在を確かめたが、だからといって何かをする訳ではない。それは、当たり前のことではないだろうか。