<485>「想定と現場と」

 投げかけるとき、投げかける先のことを、曖昧にでもとりあえず想定しているものだが、想定したものと、対象の実情とでは、あまりにも違いが大き過ぎるので、申し訳程度に当惑してしまうというか、あらかじめ想定しておいたものは何だったのだろうかという気持ちになる(現実は、私の考えから奇妙に離れている・・・)。

 しかしだ。現実には接し続けているというか、常に現実というものの中に在り、対象を観察もし、ぶつかりもし、それでいながら、全然違うものを想定しているのは何故なのだろうか。わざとなのだろうか。つまり、違う姿を必要としているから、違うものを想定しているのだ、という説。あるいは、想定するということ即ち違うものを描き出すということなのではないか、という説。つまり、常に見てきた触れてきたのにもかかわらず、なおも誤った認識をしてしまっているのではないかという話は、別にあり得なくもないのだが、そう当たってもいないのではないか、ということだ。何かを間違え続けているのではなく、わざとか、そもそもの構造の問題か・・・。