<493>「待つこと」

 これ以外の場所はないのだと思わせる強烈な力も、時間が経つと他の風景に紛れていく。要するに、待つことが大事だ。逆に言えば、待つ習慣を持っていさえすれば、圧倒的な世界にいくら頻繁にぶっつかったとしても大丈夫だということになる。

 あれはただ、待つことに失敗しただけなのではないかまた、待つ時間が、短かっただけなのではないか。やはり、自分のなかで物事が消化されるという事実があるのだということを考えなければならない。そして、何事も必ず消化するという事実が、

「自分はどうあっても自分にしかならない」

という言葉を下支えしている。

 時代々々で、こんなに考え方が変化しているのに、どうして自分はこんなにも自分になるのだろう。それは諦めの感情にも繋がらないし、大袈裟な笑いにも繋がらない。なんとなく、ほとんど人にも気づかれないような大きさで、こそっと笑ってみるだけだ。

 食べてきたもののことを考えてみて、食べるという運動のことを考えてみて、その選択の如何によって間違いなく変化は起きるのだが、そこに起きた変化はどんなものでした、と説明するのは難しい。いずれにしろ、それを動かすものはある一定さを保っている。