<497>「持続的な投球」

 これがあのときから、今ここへと送られている、良さかなるほど。そう言われてもピンと来ないが、ピンと来るのじゃ近過ぎるから、良いものを、なるべく遠くへ遠くへ、受け取った先で何の実感もないぐらいに遠くへ遠くへ。

 今現在の柔らかさ、動き良さ、というものを考えるとき、身体が何代も何代もの蓄積を背負っていることを思い出さなければならない。今ここの身体だけを考えて、ある程度無茶苦茶にやっても大丈夫だろうと思うと、その無茶苦茶は、今までの蓄積と激しくぶっつかり合う。

 今が快適であること、を中心にする。すると、遥か遠くのものまでをも見、そして遥か遠くの方へ目標を定めて投げることが結果的に必要になるが、それは矛盾でもなく遠回りでもなく、近道だ。しかし、こんな通り方をするのが近道のはずがないじゃない、という様子をしているので、どうも疑いが簡単に差し挟まれやすい。疑い、どうぞ結構、頻繁に差し挟まれたらいいのさ。私はそれでもやはり遠くへ、遠くへものを投げてみる、投げ続けてみる。