<501>「歩行を濡らすもの」

 現象が冷静であればあるほど、見える景色は美しく、またとない仕草が共に湧き起こる。臨む態度を、温度を、少しだけ変えられたのなら、こうまでして挨拶を少なくする必要はなかったのだ。

 何ものの、苦しい顔。見えない場所から順に順に染み込んで、人を払う。払われたことを知らない人々のそばでニヤリ、ニヤリと笑いを落とし、立ち上がる。この歩行を濡らしていたものは、根拠は?

 この何秒かが、ひとつ分かれたところで中心を作った。それはその通りだったが、同じようにしばらく自分も、そこに留まれるのでなかったら、その中心とはただ浅い関係性を結んだに過ぎない。

 出払え、そう、出払う。何故なら、終わりの歌を歌いに来た訳ではないから。逆に言えば、繋ぎとなる、無音地帯を丁寧に、丁寧に探していると思ってもらえたらいい。

 それが、探りであるか、眠りであるか。ならば、あくまでもフラフラの歩行であろう。そうして、ついていくには違いがないのだから。怪しげな、声を出さなくとも運動は、緊張を解くのだから・・・。