<674>「当たり前と呼ばれる」

 お前が思っているよりも、もっと簡単に、出たり、入ったりすることが出来て、それによって生まれる感想など、遅い、早いで大差がなくて、如何にしてもそのなかで混ざれない、ように見えて、なんのなんの随分と、混ざり切っているほど。

 思ったような、尊重がなくても思っていたより、尊重はあって、純粋な、ほぼ徒歩と言えるものぐらいで、抵抗も何もない。あなたが一歩だ、二歩だと細かく発していることは、別に誰も何も思っていなかったりする。

 つまり、そこに立っていさえすれば、それは、当たり前としか呼べない。

「不思議だけれども」

当たり前としか呼べない、のだから、

「昨日はお前、昨日はお前それ、違う人だろ?」

などという声と、声を、預けてこころもち前へ。進歩は要らない。退歩も要らん。誰が、言ったろ渋々だとも、静かにだとも、捉えられて各々の慰みはばたき。私たちにまたぐらまたがれるぐらいであると、話して笑顔は優しい。わたたた、分からないらしい。