<827>「汽車が見える日へ」

 たれかしらかざす声の下(シタ)へひとも知れず潜りこんでいる、その、軽やかな立ち方。

 あたしは何に於いて・・・。

 ひとくちのパン。記憶のなかに浮かぶ船。照明は等しく揺れている。

 電車のアナウンス。風景は行き先を匂う。語らいのなかの唸りをゆく。ひとのふざけた声、声は線路の記憶を飲み込む。

 あたしはお祖父(じい)さんと同じ絵のなかにいた。汽車の風景画。汽車は現実に代わり、場面毎のリズム絵になっていた。

 お祖父(じい)さんは何も喋らない。

 (汽車ってウレシイダロ・・・?)

 (お祖父(じい)さん、汽車は記憶の画だね)

 お祖父(じい)さんは何も喋らないが、あたしたちは汽車のなかにいた。切符の匂いが好きだ。

 あたしの目の前を電車の匂いが走ってゆく。照明の等しい的白さ、その揺れのなかに私は、僅かに絵としての振舞いを残していた。

  すぱびゅっオドリコ

  あたしは、あたしはすぱびゅっオドリコ

 そして日常線に乗る、幾重にも緊張感が。まだいくらか、情けの見える暗闇のなかに、日常線の小さな呟きが映ってゆく。日常線の鮮明な意識。私が特急の、飛び石的呼吸をもなぞるとき、日常線はかつての私をボウとしたリズムで表していた。たれか代わりに行方を確かめて、電車のなかに戻させるものがあったなら・・・。