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 一滴が、ざわざわと、柔らかい香りのなかに落ちた。

 暗い時間だった

 またしても落つ

 と思われて、いつまでも、一滴以上にはならない

 完璧に停止と見える

 妙な水色の生命

 

 水色の液体につらりつられ、つられて揺れて

 草食体は見ている

 動植物体は見ている

 青いひとりの老人も

 瞳を携えて、見ている

 

 とても長い一日が経った。

 いつとも知れず、水滴は消えていて、

 見物という見物は、わだかまっている、

 

 透明な匙で、静かに縦に線を入れ、

 中を窺ってみる。

 すると、ざわざわ、ざわざわ、

 しかしあたたかく、

 くぐもった声が、

 そうして突き出た頭部が、

 異形の表情が、あらわになる。

 そばで、ひとりかたまっていたあの青い老人が、

 びくとびくびくしながら、そこを結び、閉じると、、

 草食体も安心した、

 動植物体だってそうだ、

 青いひとりの老人はほっと息をついた。

 

 その一滴は今やどこの時間に紛れたろう、、

 わたしが、後からでも記憶を渡したはずである、あの一滴は。

 それは雑踏のなかを過ぎただろうか、

 それは、言葉を受け取って表情を変えただろうか、

 

 マダムが空いた杯のなかをまた満たしているとき、

 ちょっと何かの言葉をかけた。

 指は少し前から重たくなっていた、

 杯のなかの透き通った青は徐々にわたしの体温を吸い、あくまで無表情に揺れている。

 照明がまた絞られて、

 暗い時間だった、

 わたしはニ十年も三十年も経っていて、

 ニ十年も三十年もまた同じ日のフリをする、

 

 かつてざわざわとわだかまっていたはずのものも、

 今では粉微塵になり 微塵でもなくなり、

 明くる日の冷たい夜に、静かに点滅しているだけになった。

 何かが遠くなっていた。

 冷たい風が続いた。

 全くひとりの身体が、

 全くひとりのテンポで、

 道端の草食体を揺らしている。