<1205>「今生の祝い」

 ひとつ打ち、ふたつ打ち、

 また、ひとつを打つ、

 これは、私が持っていた明らかな秘密だし、

 長い。

 この規則的な響きはどこまでも続くように思う、

 身体、身体、

 私は片付けをするのだし、

 片付けたそばから始めている、、

 

 無表情、

 隙間が来る、、

 新しい跳躍を持ち、

 がらんとした、ちょうど少し古くなった、

 全く落ち着いて呼吸しているむなしさに、

 徐々に 溶けていくことができ、

 高じ、興奮し、

 ひとりでに踊っている、

 

 隙間が来る。

 あの、なにや、

 差し迫ったものを持って来る、

 黙った朝の初めに、

 意識的な鳥が、

 意識的な声を発し、

 それを道になって視ている、

 道になった人、ひとりひとりが視ていて、、

 あの意識的な活動がそっくり付着したことを喜ぶ。

 今生は祝いの気分を持っていて、

 やたらにくつろいだ。

 

 同じように黙って用意されたものが、

 黙って燃されて、

 ある月日のなかにちょっと違う風を挟んだとき、

 私は視ているだろうか、

 私はここへ集中して立っているだろうか、

 同じような月日が、

 私を挟んで、

 黙って揺するときに、

 笑みをもってして事にあたるだろうか、

 その気持ちは快くかきまされているのだろうか、、

 私は願うだろうか、

 

 前もって、いくらか湿して来てたので、

 歩行は色を少し持っていた、

 ほんの少し、

 こころみに持っていただけだが、

 それでも映えていた。

 私が生きているということはとても騒がしいことなのかもしれない。

 それでも全く離れの、煙に包まれた、

 静かな住まいを視るときに、

 どうにかほっと息を継ぐつもりが出来ていた、

 声をかけていたくなった、

 そうして全く無目的に、

 朝になればそれなりの響きを足していくのかもしれない、

 私が視ているそばで、

 なんにも付されているように思われない道の上で、、