<1316>「曲線志向」

 なんと言うべきか、覆い、、おそらく、剥がれたのでもないまま、

 そっくり、めまえへ、出でてしまって、

 それと、そっくり、おんなじものがビジョンへ、

 実は、こんな映像器からはとことんはみ出してしまっているに違いはないけれども、

 を、見た、、

 とてもこわかったです、

 それがやっぱり私の中にあるものとさして変わらないんだということを、

 つかまえたというよりもね、

 しっかり摑まされたと言った方がいいんでないか、

 という気がするんだ、

 

 歩いていて、焦れて、歩いていて、焦れて、、

 もう、この、左右に連なるものものなんぞ、

 いっぺんにひっぺがして、、

 このまま足のままの速度でゆきたいという欲望はちゃんと私の中にもあるということをつかまされなければ、、

 先鋭化のことは上手く分からないと思うんだ、

 諸々のものを置き去りにしている気持ち良さ、というものを、

 諸々を置き去りの後ろめたさにひっつけて、両方で考えないと、

 それは分からないという気がする、

 

 あらわすものが、ちょっと、不足したままでいるのは、どこか、どこまでも、流転、気持ち悪いものなんだ、、

 そのねらねらとした行き、

 場を僅かずつズラしてゆく、ねったりとした、もう、微笑みとも呼べないようなね、日の、行き、

 そういうもののなかえ、一緒に、先鋭化はちゃんとはいっている、

 この呼気が起こる場にちゃんと、、一番、線が真っすぐしたものとしてはいっているんだ、、

 多分それは小さい頃からはっきりと分かることだと思う、、

 

 これはね、多分、発現せずにはいられないことで、、

 制御、ということも考えたりするようだけれど、

 どちらかというと、制御、ということ(私だってそのようにした方がいいとさっきのさっきまで考えていたようなところがあるんですだから偉そうな身振りは出来ませんが)、それよりも、

 見事にアクロバティックな線へ移行していきませんか、

 という風に、言ったらいいんじゃないか、ねえ、だって、、

 それがとてもの速度で、一番真っすぐに行かんとする、それを、舞いだ、舞いだ、てんで、

 (意識のなかの荘厳世界というのはそんな実践のことではないかもしれないけれども)

 見事に曲線やら、あらわれたに違いない模様とやらを、それならば、いくら速くたって構わないんですから、

 

 やっぱりね、おさえつけようったってそれは無理なんですね、

 やっぱり、では我が身もそうだってことになるとそれはどうしたって気持ちが良くないということがあるではないですか(ね)、

 だから、ここは旋回なんだ、曲線の美なんだ、流転なんだ、舞いだ、舞いだ、てんてこ、てんで、そうなんだ、真っすぐっていうものはそんなによかないかもしれないよってところえやはりズラす、この身というものに少し、さいしょに少しねじれをいれてやればあとはどんどんまがりたい放題のものが描き上がるという訳でさ、先鋭化っていうのは、良いカーブを投げればいいんだ、