<1534>「さしあたり、千の単位」

 ざうざうとまた騒々しく過ぎて来たようですが、、

 はい、、

 ここは一等、、声は順当に、、

 空間へ混ざり、、

 また雑多なラインを作ってゆくことかと、まあ、

 そのように、申し上げることが、どうも出来る、、

 どうも出来る、、

 また、不思議なことを、言うではありませんか、、

 あなた、一体それはどこから、、

 ええ、うまく吹いてくれるところならどこからでも、、

 舞ってきて、ここへうまくおさまってくれるのではないですか、

 と、はじめに思いました、、

 

 ただ、また、ここから響く方面のこともあるでしょう?

 ええ、それは大いにあるのです、、

 ここから響く方面は、一体どこの時間、

 (どこの時間?)

 どこの単位、、

 (どこの単位と来ましたか、そうか)、、

 一体全体どこを目掛けて、、

 私はここから横溢するだけですからここからどこということもない訳です、、

 しかし、それはだな、こう前へ響くとか、どうとかね、そういうものが、あっておかしくはないと思うのですよ、

 ふふ、

 愉快な響きを生きておられますね、まったく、しかし、一体それは、前に向かって響いているんですか、

 それは、後ろに向かっても、前に向かっても響いています、、

 あなた、単位は、

 そう、今のところは、千と申し上げた方が良いような気がいたします、、

 千ですか、イッセン、ニセン、、ずらり、ずらりと、、

 あたしは手の揺れ込みがそのような作用を持って来ることと思っています、、

 

 せわしい風とは無縁の?

 いえ、せわしいものも、そうでないものも、同じように含んで、同じように、まともに循環していく、そのような景の中で、過ごしているようにしか、思われてはこないのです、、

 あなたが一旦含んだものが、また響き返って、、

 そう、まったく返事をいちいちになすようにして、、

 それが、千の単位、

 そうそれが、千の単位で、、

 途方もないことですな、

 ええ、しかし、おんなじところを踏みしめている訳ですから、それはいくらか自然なことのように思われるのです、、

 はあはあ、

 それくらいの幅を想像すると、、難なくここにあってしまうということが、あたりまえに分かりやすい、

 あなたには、それが分かりますか、、

 むろん、あなたのその呼吸の行い方を見たって、あなた自身が分かることだとは思います、、

 だから、また、何も由縁のないように見える日にちに、

 どうもここへ、長いこと立っていて、、

 日のあたり方をたくわえてきた仕方をとすると、、

 とてもとてもそこらの年月ではない、と思えてくるはずなんです、、